シャボン玉に色は付いていない。それでも虹色に見える。モルフォ蝶の羽に青い色素は入っていない。それでも鮮やかな青に見える。
この 2 つは、われわれが印刷で扱っている色とはまったく別の原理で色を出している。顔料も染料も使わず、光の波長ほどの大きさの構造が干渉を起こして、特定の波長だけを返している。構造色と呼ばれる現象である。
その構造色を、インクジェットでその場に作るという技術が学会誌に報告された。富士フイルムビジネスイノベーションと富士フイルムの研究者による「構造色インクジェットによるデジタル加飾技術」(日本印刷学会誌 63 巻 3 号 166-173 頁、2026 年)である。
本稿では、この報告を出発点に、色を作る方法が 2 つあることから始めて、なぜ従来の加飾には版が要ったのか、デジタルにすると何が変わるのか、そしてこの技術が何をまだ答えていないのかまでを順に見ていく。
色の作り方は 2 つある
印刷で色を出すとき、われわれは光を引き算している。紙に当たった白色光のうち、顔料が特定の波長を吸収し、残った波長が目に返る。シアンのインキが青緑に見えるのは、赤い波長を吸収しているからである。CMYK の減法混色とは、この引き算の重ね方の話だ。
もうひとつの作り方が構造色である。こちらは吸収しない。光の波長と同じくらいの寸法を持つ構造が、反射した光どうしを干渉させる。
薄い層が重なっているとき、光は各層の境目で少しずつ反射する。反射した光どうしは、層の厚みによって強め合ったり打ち消し合ったりする。厚みがある波長の半分の整数倍に近ければその波長は強め合い、そうでなければ弱まる。結果として、特定の波長だけが返る。
シャボン玉の色が刻々と変わるのは、膜の厚みが流れて変化しているからである。厚みが色を決めている。ここが決定的に重要で、この記事の残りはすべてこの一点から導ける。
なぜ「光の波長ほどの厚み」でなければならないのか
干渉が起きるには条件がある。2 つの反射光の道のりの差が、波長と比べられる大きさでなければならない。
可視光の波長はおよそ 380〜780 nm(ナノメートル)である。1 nm は 100 万分の 1 mm だから、可視光は 1 mm の 2,000 分の 1 ほどの周期で振動していることになる。層の厚みがこの寸法から大きく外れると、反射光どうしの道のり差が波長の何十倍にもなり、強め合いと打ち消し合いが混ざって平均化されてしまう。つまり色が出ない。
普通のインキ膜の厚みは 1〜数 µm(マイクロメートル)である。可視光の波長の数倍から十数倍にあたる。この厚みでは干渉が色として現れない。構造色を作るというのは、インキの世界の常識より 1 桁から 2 桁薄い層を、しかも精度よく積むということを意味する。
ここから、この技術の難しさがどこにあるかも見えてくる。インクジェットで難しいのは「色を出すこと」ではなく、ナノメートルの精度で厚みを揃えることのほうである。液滴が着弾して広がり、乾く。その過程で厚みが決まる。
パール顔料とは何が違うのか
「見る角度で変わる質感」を出す材料は、印刷の現場でも以前から使われてきた。パール顔料や光学干渉顔料がそれである。これらも原理は干渉で、雲母などの薄片に酸化チタンを被覆し、粒子そのものを多層構造にしてある。
ではこの技術と何が違うのか。決定的な違いは構造がどこで作られるかである。
| パール顔料・干渉顔料 | 構造色インクジェット | |
|---|---|---|
| 構造を作る場所 | 顔料メーカーの工場(粒子の製造時) | 刷る現場(印刷時) |
| 色の決まり方 | 購入した顔料の品種で決まる | データで指定する |
| 色を変えるには | 別の顔料に入れ替える | データを変える |
| 1 枚ごとの可変 | できない | 原理的に可能 |
パール顔料は「干渉で色が出る粒子を、色材と同じように扱う」技術である。だから工程はインキを替えるのと変わらない。色数は在庫している顔料の品種の数に等しい。
一方、構造をその場で作るなら、色数は在庫の制約から外れる。この違いが、次章以降で見る「版が要らない」という話に直結していく。
構造色は「顔料が無い色」である
構造色の性質は、色材の色といくつもの点で異なる。
- 見る角度で色が変わる。 斜めから見ると光が層を通る距離が変わるので、強め合う波長がずれる。角度によって色が動くのはこのためである
- 金属光沢のような見えになる。 光が散乱ではなく反射で返るので、拡散した色材の色とは質感が違う
- 色材が無いので、色材が壊れることによる褪色は起きない。 ただし、構造そのものが変形したり汚れが入ったりすれば色は変わる
3 点目については慎重に扱いたい。「構造色だから褪色しない」と一般化するのは行き過ぎである。色材の褪色という経路が無いというだけで、耐候性や耐久性がどうであるかは別の話であり、今回の論文はそこを主題にしていない。
印刷の現場でいえば、パール顔料や光学干渉顔料(いわゆる偏光パール)が構造色に近い見えを作る材料として使われてきた。ただしそれらはあらかじめ作られた粒子であり、粒子ごとに色が決まっている。今回の技術は、その構造を刷る場所で作る点が違う。
なぜ従来の加飾には版が要ったのか
箔押し、特色、パール——見る角度で変わる質感を出す加工は、いずれも版を必要としてきた。
箔押しは、加熱した凸版で箔を紙に転写する。版が無ければ、どこに箔を置くかを決められない。特色インキも同様で、調色したインキを版に載せて刷る。どちらも「この形にこの色を置く」という情報が、物理的な版に固定されている。
版があると、次のことが決まってしまう。
- 版代が発生する。 数を刷って割らないと 1 枚あたりの単価が下がらない。ここでロットの下限が決まる
- 1 枚ごとに変えられない。 版は固定されているので、可変の意匠は原理的に不可能である
- 段取りの時間がかかる。 版を替えるたびに機械を止め、見当を合わせる
加飾が「高い」と言われるのは、多くの場合こうした固定費の話である。加工そのものが高いというより、少ない数で割るから高くなる。
そもそも、なぜ加飾に金を払うのか
技術の話に入る前に、需要の側を押さえておきたい。加飾は装飾のためだけにあるのではない。実務では、少なくとも 3 つの目的が重なっている。
- 棚での識別。 売場で商品を選ぶ時間はごく短い。光り方が違うものは視野の中で先に目に入る。これは意匠というより、視認性の設計である
- 価格帯の伝達。 同じ中身でも、箔が押してあるパッケージは高い商品に見える。加飾は価格の妥当性を説明する記号として働いている
- 模倣の抑止。 角度で色が変わる加工は、コピー機やスキャナで再現できない。紙幣やブランド品のタグに干渉を使った加工が入るのはこのためである
3 つ目は構造色ととくに相性がよい。干渉で出る色は、平面のスキャンでは記録できない。スキャナは決まった角度からしか光を当てないので、角度によって変わる情報は落ちる。
これを踏まえると、この技術の射程は「きれいに見せる」だけではないことが分かる。1 枚ごとに違う意匠を、コピーできない形で載せられるなら、それは真贋の判定に使える性質である。今回の論文はそこを主題にしていないが、応用の方向としては自然に伸びる先である。
何が報告されたのか
論文が報告しているのは、透明なインクの中に光波長スケールの多層構造を形成し、顔料や染料を使わずに色を出す技術である。
要点として述べられているのは次の各点である。ここは論文の記述の範囲にとどめ、それ以上の推測は加えない。
- 色材を使わず、透明インク内の多層構造によって発色させる
- デジタル制御によって反射波長を調整できる。つまり出したい色をデータで指定できる
- 視野角による色の変化、光沢感、立体的な視覚効果が特徴として挙げられている
- シミュレーション技術によって設計精度を高めている
- 従来加工との組み合わせ、および少量多品種の生産に適するとされている
本稿の冒頭で「厚みが色を決めている」と書いた。デジタルで反射波長を調整できるということは、層の厚みを刷る側で作り分けられるということを意味する。同じインクのまま、データを変えるだけで違う色が出る。
なお、この論文は学会誌に掲載されたものであり、arXiv などのプレプリント(査読前の投稿)ではない。
シミュレーションが要る理由
設計にシミュレーションが必要だという点も、原理から理解できる。
干渉で色を出す場合、目標の色と構造の関係は直感的ではない。「もう少し赤く」と思ったときに層の厚みをどれだけ変えればよいかは、層数・屈折率・観察角度が絡み合って決まる。試し刷りを繰り返して詰めるやり方では、組み合わせが多すぎて収束しない。
色材の色であれば、混ぜる比率と結果の関係はおおむね直線的で、経験で追い込める。構造色ではその経験則が効かない。だから設計を計算に置き換える必要が出てくる。
デジタルにすると何が変わるか
版が要らなくなると、上で挙げた 3 つの制約がそのまま外れる。
- 版代が発生しない。 ロットの下限を決めていた固定費が消える。1 枚でも 100 枚でも 1 枚あたりのコストが変わりにくい
- 1 枚ごとに変えられる。 反射波長をデータで指定できるなら、シリアルナンバーのように意匠を可変にできる
- 段取りが要らない。 版の交換と見当合わせが工程から消える
これは、オフセットに対してデジタル印刷が持ち込んだ変化とまったく同じ形である。版という固定費を消すと、小ロットと可変が成立する。構造色インクジェットは、その変化を「加飾」の領域に持ち込もうとしている、と位置づけられる。
この技術が答えていないこと
ここまでが論文の報告内容である。そのうえで、現場が導入を判断するために必要な情報のうち、今回の報告に含まれていないものを明示しておきたい。
- 生産速度。 多層構造を作るということは、単純に考えれば 1 層の印刷より時間がかかる。1 時間あたり何枚という水準は述べられていない
- 素材適性。 どの基材に載るのか。紙、フィルム、成形品でふるまいがどう変わるのか
- 堅牢性。 擦れ、折り、屈曲、湿度、屋外曝露に対してどうか。構造が色を作っている以上、構造が壊れれば色が変わる
- コスト。 版代が消えても、インクと装置のコストがどうなるかは別である
- 色域と再現性。 どの範囲の色が出せるのか。ロット間・機械間でどれだけ揃うのか
これらは論文の欠陥ではない。研究の報告と、製品の仕様書は目的が違う。ただ、記事としてはこの区別をはっきりさせておかないと、読者が「もう使える技術」と受け取ってしまう。
現時点で言えるのは、「色材を使わずにデジタルで加飾する道筋が示された」までである。これが主流になるかどうかは、この 1 本の論文からは分からない。
どの案件なら向くのか
とはいえ、こうした技術の話を聞いたときに「うちの仕事のどこに当たるか」を考えておくことには意味がある。工程の形から逆算すると、向き不向きは整理できる。
向く可能性がある案件は、次の 3 つの条件のうち複数を満たすものである。
- ロットが小さい。 版代を割れない数量。試作、限定品、地域限定のパッケージ、個別対応のノベルティ
- 1 点ごとに違う意匠が要る。 個人名入り、通し番号、可変のグラフィック。版では原理的にできない領域
- 意匠性が価格に乗る。 高付加価値の商品パッケージ、化粧品、酒類、記念品。加飾の価値が単価として認められる分野
逆に向かない案件もはっきりしている。大ロットで同じ意匠を刷るもの、加飾が価格に乗らないもの、強い摩擦や屈曲を受けるもの。大量に同じものを作るなら、版を作って割ったほうが安いという構造は変わらない。
新しい加工を検討するときの共通の手順
これは構造色に限った話ではない。新しい加工技術の情報が入ってきたとき、自社に当てられるかを判断する手順はいつも同じである。
- それが消す固定費は何かを特定する。 版代なのか、段取り時間なのか、材料の最小購入単位なのか。消える固定費が分かれば、成立するロットの下限が計算できる
- 代わりに増える費用を数える。 装置の償却、専用インクの単価、習熟にかかる時間。消える固定費と増える変動費が釣り合う数量が損益分岐点になる
- いまの受注のロット分布を確かめる。 損益分岐点より小さい案件が、いま自社に何件あるか。ここを数えずに導入すると、能力を持て余す
- できないことを先に聞く。 速度・素材・堅牢性の限界を確認してから提案に使う。できることだけを聞いて提案すると、受注してから困る
とくに 3 番目は見落とされやすい。「小ロットに強い」という説明は正しくても、自社にその小ロットの仕事が来ていなければ意味がない。技術の性能ではなく、自社の受注の形から判断する必要がある。
色の管理はどうなるのか
実務でひとつ気になる論点がある。構造色は、いまの色管理の枠組みに乗るのか。
印刷の色管理は、測色計で色を数値に置き換えることを土台にしている。決められた角度で光を当て、決められた角度で受け、L*a*b* の値を出す。その色が角度によって変わらないという前提が、この方法には埋め込まれている。
構造色はその前提を外れる。角度で色が変わることが特徴なのだから、1 つの角度で測った値では表しきれない。「この色です」と 3 つの数字で言えない色を、どう指定し、どう検査するのか。
この問題は構造色に固有ではなく、パール顔料やメタリックインキでもすでに存在している。自動車の塗装分野では、複数の角度から測る多角度測色という手法が使われてきた。角度ごとに測って、色の変わり方そのものを記録するという考え方である。
とはいえ、印刷の現場で多角度測色が一般的かというと、そうではない。デジタルで自由に色を作れるようになったとき、それを検査する側の準備が追いついていない——という状況は、新しい技術が入るときに繰り返し起きる。
この点は、導入を考える立場からは実際的な論点になる。再現できることと、再現できたと証明できることは別である。後者が用意できないと、クレームの切り分けができない。
まとめ — この研究を追いかける観点
整理する。
- 色の作り方には吸収による色(色材)と干渉による色(構造色)の 2 つがある
- 構造色は層の厚みが色を決める。だから厚みを刷り分けられれば、同じインクで色を作り分けられる
- 報告されたのは、透明インク内に多層構造を作り、デジタル制御で反射波長を調整する技術(日本印刷学会誌 63 巻 3 号 166-173 頁)
- 版が消えると、版代・可変不可・段取りという 3 つの制約が同時に外れる
- ただし速度・素材適性・堅牢性・コスト・色域は今回の報告の範囲外である
この研究を追いかけるなら、次に何が報告されるかを見ておきたい。実用が近いと判断できる材料は、おそらく次の 3 つである。
- 速度の数字が出ること。 「1 時間あたり何 m²」が示されれば、生産工程に載るかどうかが判断できる
- 基材別のデータが出ること。 紙・フィルム・成形品それぞれでの発色と密着が示されれば、案件に当てられる
- 堅牢性の試験結果が出ること。 耐摩擦、耐屈曲、耐候の標準試験の値が出れば、用途の範囲が決まる
研究の報告を読むときに大事なのは、何が示されたかと同じくらい、何がまだ示されていないかを数えることである。前者だけを追うと期待が先走り、後者だけを見ると何も新しくないという結論になる。両方を並べて初めて、自分の現場との距離が測れる。