提案書の 1 枚目に、業界の規模を書こうとしたことがあるだろうか。「印刷業界の市場規模」を調べ始めて、10 分ほどで手が止まる。資料によって数字が食い違う。しかも少し違うのではなく、桁が動きそうなほど違う。どれかが間違っているのだろうと思って原典を当たると、どれも公的な、あるいは相応の調査に基づいた数字である。
この食い違いは、誰かの誤りではない。そもそも数えているものが違うのである。「印刷業界」という言葉が指す範囲は 1 つに定まっておらず、集計している量も、母集団の作り方も、資料ごとに違う。それを承知で使えば、統計はきわめて強力な材料になる。承知せずに貼りつけると、自社の判断そのものを誤らせる。
この記事では、どの数字が正しいかではなく、なぜ食い違うのかを構造として整理する。産業分類の切り方、統計が作られた目的、集計する量の定義、母集団の作り方、名目と実質。そのうえで、業界の数字を自社の判断に使うための手順を示す。個別の金額はあえて書かない。この記事を出典にして数字を引かれても困るし、数字は必ず古くなるからである。
同じ「印刷業界」の市場規模が、資料によって倍ちがう
まず、食い違いがどこから生まれるのかを俯瞰しておく。同じ年の「印刷業界の市場規模」に対して、次のような違いがすべて同時に効いている。
| ずれる原因 | 具体的には |
|---|---|
| 範囲の違い | 製版・製本・紙加工を含むか。看板やデザイン制作を含むか |
| 量の違い | 出荷額か、売上高か、付加価値額か |
| 母集団の違い | 全事業所か、一定規模以上か、団体の会員だけか |
| 単位の違い | 事業所単位か、企業単位か |
| 時点の違い | 調査年、公表年、そして遡って改定されているか |
この 5 つのうち 1 つでも違えば、数字は違って当然である。複数の資料を並べて「どれが本当か」と考えるのは、そもそも問いの立て方が間違っている。正しい問いは「この数字は何を数えたものか」であり、それが分かれば、比べてよい場面と比べてはいけない場面が自分で判断できる。
食い違いは「誤差」ではない
ここを混同しないでおきたい。統計には確かに誤差がある。標本から全体を推計すれば推計誤差が出るし、回答者の記入にもぶれがある。しかし、資料間の食い違いの大半は誤差ではなく、定義の差である。
誤差なら、精度の高い調査を選べば解決する。定義の差はそうはいかない。どちらも自分の定義の中では正確であり、正確なまま食い違っている。だから「もっと信頼できる数字を探す」という方向で努力しても、いつまでも収束しない。
この違いに気づくと、資料の読み方が変わる。数字より先に、その資料の脚注と定義のページを読むようになる。統計資料でいちばん情報量が多いのは、たいてい注記のほうである。
順に見ていこう。まずは範囲の話からである。
そもそも「印刷業」とは何を指すのか
公的な統計が「印刷業」として集計する範囲は、総務省が定める日本標準産業分類という枠組みに従っている。これは、あらゆる経済活動を分類するための共通の物差しで、統計を横に並べるための土台になっている。
ここで押さえておきたい性質が 2 つある。
性質 1 — 事業所は 1 つの分類にしか入らない
産業分類は、事業所(工場や営業所といった場所の単位)を主たる事業によって 1 つの分類に割り当てる。複数の事業をしていても、按分はされない。
これは実務感覚とかなりずれる。たとえば、オフセット印刷もやり、パッケージの製函もやり、看板の出力もやっている会社があったとする。この会社の 1 つの工場は、売上構成の大きいほうに丸ごと計上される。印刷の売上は、統計上「印刷業」に入らないかもしれない。
逆のことも起きる。主たる事業が印刷であれば、その事業所が手掛けている看板の仕事も、デザインの仕事も、丸ごと「印刷業」として数えられる。統計の「印刷業」は、印刷という行為の集計ではなく、印刷を主たる事業とする事業所の集計である。
性質 2 — 分類は改定される
産業分類は固定ではなく、産業構造の変化に合わせて何年かおきに改定される。項目が新設されたり、統合されたり、別の大分類へ移されたりする。
改定があると、前後で同じ名前の項目が同じ範囲を指さなくなる。古い年と新しい年をそのまま並べて「◯年で△%減少」と言えなくなることがあるのは、このためである。長期の推移を語るときは、途中で定義が変わっていないかを確認する必要がある。
3 つの層
実務的には、次の 3 つの層を区別しておくと混乱が減る。
- ① 狭義の印刷業 — 印刷とその直接の関連工程。政府統計が「印刷業」として集計するのは、おおむねここ
- ② 印刷関連産業 — 紙加工、製本、情報加工、デザイン制作など。資料によって含めたり含めなかったりする
- ③ 発注側が使っているお金 — 広告費・販促費・制作費。民間の「市場規模」がこの層まで含んでいることがある
③ まで含めた数字と、① だけの数字を比べれば、当然のように倍以上の差が出る。資料に出会ったら、まずこの層のどれを見ているのかを判定する。判定できないなら、その資料は使わないほうがよい。
自社はどの層にいるのか
この 3 層は、自社を位置づけるときにも使える。試しに、直近 1 年の売上を次のように分けてみてほしい。
- 自社の設備で刷ったもの(① に入る)
- 製本・加工・後工程だけを請けたもの(① と ② の境目)
- 企画・デザイン・データ制作だけのもの(② か ③)
- Web・映像・発送代行・在庫管理など(統計上は印刷業ではない)
この作業をすると、たいていの会社で「自社は思っているより①ではない」という結果になる。そして、それは悪いことではない。だが、統計の「印刷業」の増減を自社の将来と重ねて読むなら、自社がその定義にどれだけ収まっているかは知っておく必要がある。
実務でよく起きる誤読がここにある。統計上の印刷業が縮小していることを根拠に、自社の計画を保守的に組む。ところが自社の売上の半分は、そもそも統計上の印刷業に入っていない。関係のない数字を根拠にして、自社の判断を縛っていることになる。
統計は誰が、何のために作っているのか
数字が食い違うもう 1 つの理由は、統計が中立な「事実の記録」ではなく、目的を持って設計された道具だからである。目的が違えば設計が違い、設計が違えば数字が違う。
政府統計 — 行政のための道具
国が作る統計は、産業政策、景気の判断、税や予算の設計といった行政の目的のために作られている。したがって重視されるのは網羅性と継続性である。特定の産業を深く掘るより、あらゆる産業を同じ物差しで、長期にわたって測り続けることに価値が置かれる。
印刷業に関わる主なものとしては、事業所と企業の全体像を捉える経済センサス、製造業の活動を継続的に把握する調査、そして品目ごとの生産量を月次で追う生産動態統計などがある。それぞれ目的が違うので、同じ「印刷業」を見ていても数字は一致しない。
近年は統計の整理・統合が進んでおり、調査の名称や体系そのものが変わることがある。過去の資料に出てくる統計名がいまは存在しない、ということも起きる。数字を引くときは、その統計がいまも継続しているかを確認したい。
民間調査 — 顧客のための道具
調査会社が発表する市場規模は、その情報を必要とする顧客に向けて作られている。したがって範囲の切り方が独自になる。「印刷市場」を、発注側の予算まで含めて大きく描いたほうが有用な顧客もいれば、特定の分野だけを細かく見たい顧客もいる。
これは恣意的という意味ではない。目的に合わせて範囲を定義するのは調査として正当である。ただし、その定義は資料の中に書いてあるので、必ず読む必要がある。要約や引用の引用だけを見ていると、定義が落ちたまま数字だけが独り歩きする。
業界団体の統計 — 会員の把握
業界団体が公表する数字は、多くの場合会員を母集団としている。会員でない事業者は入らない。組織率が高い分野であれば実態に近く、低ければ乖離する。
団体統計の強みは、公的統計では拾えない細かい品目や、業界特有の区分を持っていることである。弱みは母集団が閉じていることで、この 2 つはセットで理解しておきたい。
統計が積み上がってきた経緯
いまある統計は、突然できたものではない。国が産業の実態を継続的に把握しようとする営みは長く、「どの産業がどれだけ生産しているか」を測ることは、近代国家の基本的な仕事の 1 つだった。景気対策も、資源の配分も、税制も、それがなければ設計できない。
この長い継続性が、統計の最大の価値である。単年の数字より、何十年も同じ物差しで測り続けてきた系列のほうが、はるかに多くのことを語る。産業構造の変化は、単年では見えないからである。
同時に、これが制約にもなっている。物差しを変えれば継続性が失われるので、統計は簡単には変えられない。だから統計の分類は、現実より少し遅れる。新しい業態が登場しても、それが独立した項目になるまでには時間がかかる。
近年は、調査対象の負担を減らし、統計を効率化する方向の見直しが進んでいる。調査の統廃合、他の行政記録の活用、公表体系の整理。結果として、過去の資料に出てくる統計名がいまは存在しない、ということが起きる。古い資料を引くときは、その系列が現在どこに引き継がれているかを確認する必要がある。
3 種類の統計の使い分け
| 強み | 弱み | 向いている用途 | |
|---|---|---|---|
| 政府統計 | 網羅性・継続性・定義が公開されている | 公表までに時間がかかる。粒度が粗い | 長期の傾向、構造の変化 |
| 民間調査 | 切り口が実務に近い。新しい分野を扱う | 範囲が独自。継続性の保証がない | 特定分野の当たりを付ける |
| 団体統計 | 品目が細かい。業界の区分に合っている | 母集団が会員に限られる | 品目別の動き、会員企業との比較 |
3 つを並べて「どれが正しいか」を争わせるのではなく、目的に合うものを選ぶ。長期の構造を語るなら政府統計、直近の動きを見るなら民間調査や団体統計、というのが基本の使い分けになる。
出荷額・売上高・付加価値額は、別のものを数えている
範囲の次に効いてくるのが、何を集計しているかである。ここが最も誤解されやすい。
図のように、1 件 100 万円の仕事があり、元請が 60 万円を外注に出し、その外注が 30 万円の用紙を仕入れたとする。売上高を素直に足すと 190 万円になるが、この取引で新たに生まれた価値は 100 万円である。差の 90 万円は二重・三重に数えられたぶんにほかならない。
| 指標 | 何を数えているか | 使うときの注意 |
|---|---|---|
| 製造品出荷額等 | その事業所が出荷した製品の金額 | 仕入れた材料や外注費を含む。積み上げると重複する |
| 売上高 | 企業が計上した売上 | 商品売上・サービス売上も入る。重複はさらに大きい |
| 付加価値額 | 出荷額から、外部から買ったものを差し引いた額 | 重複がない。業界の「厚み」を見るならこちら |
| 従業者数 | そこで働いている人の数 | 金額の影響を受けない。構造の変化を見るのに向く |
印刷業は外注比率が高い業種である。だから、売上高や出荷額を単純に足し上げた「業界規模」は、実態より大きく出やすい。逆に、付加価値額で見ると印象がかなり変わる。どちらが正しいという話ではなく、何を知りたいのかで選ぶ指標が変わるということである。
知りたいことと、見るべき指標
- 取引の総量を知りたい(お金がどれだけ動いているか)→ 出荷額・売上高
- 業界が生んでいる価値を知りたい(雇用や利益の源泉)→ 付加価値額
- 業界の構造変化を知りたい(集約が進んでいるか)→ 事業所数・従業者数と、その規模別の分布
- 需要そのものの増減を知りたい→ 金額ではなく数量の統計
なぜ付加価値額のほうが実感に近いのか
もう少し踏み込むと、付加価値額が実感に近い理由がはっきりする。付加価値額とは、おおまかに言えば売上から、外部に支払ったものを引いた残りである。用紙代も、外注費も、電気代も引く。残ったものが、人件費と減価償却と利益の原資になる。
つまり付加価値額は、その会社が実際に「稼いだ」ぶんに近い。売上が大きくても外注比率が高ければ付加価値は薄く、売上が小さくても自社で完結していれば付加価値は厚い。同じ売上規模の 2 社が、まったく違う経営体力を持っていることは珍しくない。
これは業界を見るときにも、自社を見るときにも効く。従業者 1 人あたりの付加価値額を業界の平均と比べれば、自社の立ち位置がかなり分かる。売上高の比較より、はるかに意味のある比較になる。
数字の「増えた」を疑う
もう 1 つ、金額の統計で気をつけたいのが、資材価格が上がっただけで金額が増えるという現象である。用紙やインキ、エネルギーの価格が上がれば、同じ量を刷っても出荷額は増える。
この状態で「業界の出荷額が増えた」という見出しを見ると、需要が回復したように読める。しかし、数量は減っていることもある。金額の増減を需要の増減として読む癖は、価格変動の大きい時期にはとくに危ない。
母数の作り方で数字は動く
3 つめの論点は、誰を数えたかである。統計は全員に聞いているとは限らない。
全数調査と標本調査
全数調査は対象すべてに調査票を配る方式で、精度は高いが費用も負担も大きい。標本調査は一部を抽出して全体を推計する方式で、軽いかわりに推計の誤差が入る。同じ対象を、全数で調べた年と標本で調べた年があると、その前後で数字が段差を持つことがある。
事業所単位と企業単位
1 つの企業が複数の工場と営業所を持っていれば、事業所単位の統計ではそれぞれが 1 件として数えられる。企業単位なら 1 件である。「事業所数」と「企業数」を混同すると、集約の進み具合をまるで逆に読むことになる。
対象の下限
調査によっては、従業者数が一定以下の事業所を対象から外していることがある。これは印刷業ではとくに効く。印刷業は小規模な事業者が数の上で大きな比重を占める業種だからである。下限のある統計では、その層がまるごと視野から外れる。
「事業所数が減った」という数字を見たときも、注意が要る。減少の中身には、廃業だけでなく次のものが混ざっている。
- 統合 — 2 つの工場を 1 つにまとめれば、廃業していなくても事業所数は 1 減る
- 分類の変更 — 主たる事業が変われば、別の産業へ移る。廃業ではなく「引っ越し」である
- 調査対象の変更 — 下限や対象範囲が変われば、数字は動く
減少幅の何割が実際の廃業なのかは、その統計だけからは分からない。「業界が◯%縮小した」という表現を見たら、この点を疑ってよい。
回収率と、答えなかった人たち
調査票を配っても、全員が返してくるわけではない。返ってこなかったぶんをどう扱うかで、数字は変わる。無回答を除いて集計するのか、推計で補うのか。調査によって扱いが違い、その方法は資料に書いてある。
ここで効いてくるのが、答えない人には偏りがあるという性質である。業績の悪い事業所、人手の足りない事業所、廃業を考えている事業所ほど、調査票を返す余裕がない可能性がある。もしそうなら、集計結果は実態より良く出る方向に偏る。
これは統計を否定する話ではない。統計を作る側はこの問題を認識しており、補正の方法も設計されている。ただ、数字には常にこうした構造的な偏りが含まれうる、という感覚は持っておきたい。小数点以下まで信じる読み方をしないための、実務的な予防線である。
公表の時差
もう 1 つ、忘れられがちなのが時差である。調査を実施し、回収し、点検し、集計し、公表するまでには相応の時間がかかる。「最新の統計」が、いま起きていることを示しているとは限らない。
年次の統計であれば、公表時点で 1〜2 年前の姿を見ていることもある。急激に環境が変わった時期には、この時差が致命的になる。速報性が要るなら月次の統計を、構造を見るなら年次の統計をという使い分けが要る。
名目の増減を、数量と単価に分ける
ここまでで、何を・誰を数えたかが分かった。次は増減の読み方である。
金額は、数量と単価の積である。したがって金額が減ったとき、可能性は 3 つある。数量が減ったのか、単価が下がったのか、その両方か。この 3 つは、打つべき手がまるで違う。
数量が減っているなら、それは需要そのものの変化であり、対応するのは事業構成の話になる。単価が下がっているなら、価格競争か、単価の低い品目へ構成が移ったかであり、対応するのは値決めと品目の話になる。金額だけを見て「業界が縮小している」と結論づけると、この区別が消える。
数量の統計を見る
幸い、日本の統計には金額だけでなく数量を持っているものがある。品目別の生産量を継続的に追う統計がそれで、印刷や紙・パルプに関する系列も公表されている。金額の統計と数量の統計を並べれば、単価の動きは割り算で見える。
この作業は手間がかかるが、1 回やっておけば以後は毎年更新するだけである。自社の事業計画に業界の数字を使うなら、金額の系列だけを追うのはもったいない。
同じことを自社でもやる
この分解は、自社の売上に対しても効く。売上が前年比で減ったとき、次のように分けてみる。
- 件数(受注した仕事の数)
- 1 件あたりの単価
- 品目の構成(単価の高い仕事の比率が変わっていないか)
- 取引先の構成(大口が減ったのか、小口が広く減ったのか)
これを出すと、たいてい「全体的に厳しい」という感想が、もっと具体的な 1 行に変わる。件数は横ばいで単価だけ落ちているなら、営業活動ではなく値決めの問題である。件数が落ちているなら、失注の理由を数えるところから始まる。
業界統計を読む技術と、自社の数字を読む技術は同じものである。むしろ、自社の数字で練習したほうが早く身につく。定義も母集団も自分で決められるからである。
単価の下落を「悪いこと」と決めつけない
もう 1 点だけ補足しておく。単価の下落は、価格競争の結果とは限らない。単価の低い品目の比率が上がっただけということがある。小ロットの仕事を積極的に取りに行けば、平均単価は下がる。だがそれは戦略の結果であって、値崩れではない。
平均値は、構成が変わるだけで動く。平均が動いたら、まず構成を疑う。これは業界統計でも自社の数字でも同じである。
名目と実質
もう 1 つ、物価そのものの変動という要素がある。名目の金額をそのまま並べると、物価が動いた期間では実態が読めない。物価の影響を除いたものを実質値と呼び、公表されている統計もある。資材価格が大きく動いた時期をまたぐ比較では、名目のままだと誤読しやすい。
印刷業でこれが効くのは、用紙とエネルギーの価格が業績に直結するからである。仕入れ価格が上がり、それを転嫁できれば売上は増えるが、利益は増えない。転嫁できなければ売上は横ばいで、利益だけが減る。どちらの場合も、売上高という 1 つの数字からは判断できない。
10 年、20 年という長さで業界を語るときは、この点がとくに大きくなる。物価の水準が違う時代の金額を、そのまま比べても意味がない。長期の比較をするなら、金額ではなく数量、あるいは人数を軸にしたほうが誤読が少ない。従業者数や事業所数は、物価の影響を受けないという点で扱いやすい指標である。
統計に映らない仕事が増えている
ここまでは統計の内側の話だった。最後に、統計の外側の話をしておきたい。これが実務ではいちばん効く。
印刷会社の非印刷売上
いまの印刷会社は、印刷だけをしているわけではない。企画、デザイン、Web 制作、データ処理、発送代行、在庫管理、販促の運用支援。これらの売上は、印刷という行為の統計には素直に乗らない。
この結果、次のようなことが起きる。ある会社が印刷の売上を減らし、その分を周辺サービスで補って全体では成長したとする。しかし統計上は「印刷業の縮小」に見える。会社としては伸びているのに、業界統計では縮んで見えるという現象である。
内製化した分は市場に出てこない
オフィスの複合機で刷られる資料、社内で作られる販促物、電子で配られるようになった帳票。これらは、かつて印刷会社に発注されていたかもしれない需要だが、市場を経由しないので統計には現れない。
つまり「印刷の需要が減った」と言われるものの一部は、需要が消えたのではなく市場の外へ移動したということである。この違いは重要で、前者なら諦めるしかないが、後者なら戻ってくる余地がある。
境界がにじんでいる
ネット印刷、海外への発注、印刷機能を持つ他業種の参入。産業分類はこうした動きに対して、どうしても遅れて追いつく。いま起きていることほど、統計には映りにくい。
したがって、統計は過去を正確に記録する道具であって、現在を映す鏡ではない。この性質を理解していれば、統計と現場感覚が食い違ったときに、どちらかを否定するのではなく、両方を材料として扱えるようになる。
「縮小」の中身を分解してみる
試しに、印刷の需要が減ったと言われるときの中身を分解してみる。少なくとも次の 5 つが混ざっている。
| 中身 | 性質 | 自社にとっての意味 |
|---|---|---|
| 媒体が電子に置き換わった | 需要そのものの消滅 | 戻らない。別の需要を取りに行くしかない |
| 発注者が内製化した | 市場の外へ移動 | 品質・手間で戻せる余地がある |
| 単価が下がった | 金額だけの減少 | 数量が同じなら、値決めと品目構成の問題 |
| 印刷会社が別業種に分類替えされた | 統計上の移動 | 実体は減っていない |
| 印刷以外の売上に置き換わった | 統計上は減少、経営は健全 | むしろ狙って進めるべきこと |
この 5 つは、対応がまったく違う。ひとまとめに「業界の縮小」として受け止めると、打つべき手が見えなくなる。統計の数字を、自社の言葉に翻訳する作業がここに要る。
現場で実際に起きている 5 つの誤読
ここまでの内容を、資料づくりの現場で起きる具体的な誤読に落としておく。どれも、悪意なく、むしろ真面目に資料を作ろうとして起きるものである。
誤読 1 — 出どころの違う数字で推移を作る
手元にある古い年の数字と、検索で見つけた新しい年の数字を並べて、増減率を計算してしまう。系列が違えば、増減はまったく意味を持たない。もし推移を示したいなら、同じ調査の同じ指標を、複数年ぶん取ってくる。1 年分しか手に入らない指標は、推移には使えない。
誤読 2 — 「市場規模」と「自社の見込み客の総額」を同一視する
市場規模の何%を取れば売上がいくら、という計算を見かける。だが統計上の市場には、自社が地理的にも技術的にも取りに行けない需要が大量に含まれている。全国の数字から自社の商圏を推し量るなら、少なくとも地域と業種で絞り込む必要がある。絞り込めないなら、その計算はしないほうがよい。
誤読 3 — 構成比の分母が変わったことに気づかない
「印刷業に占める◯◯の割合が上がった」という記述は、分子が増えたのか、分母が減ったのかで意味が正反対になる。割合が上がったのに、実額は減っているということは普通に起きる。構成比を見たら、必ず実額も並べる。
誤読 4 — グラフの縦軸が 0 から始まっていない
統計そのものではなく、資料の作り方の問題である。縦軸を途中から始めれば、わずかな変化が急落に見える。他社の資料を引用するときは、グラフの見た目ではなく数値を確認する。自分で作るときも、意図せず誇張しないように気をつけたい。
誤読 5 — 予測値を実績値として扱う
民間調査には、実績と将来予測の両方が載っていることが多い。要約や記事になる過程で、この区別が落ちることがある。「◯年に△兆円」という表記が、実績なのか予測なのかは、必ず原典で確かめる。予測は前提の置き方でいくらでも動く。
数字を自社の判断にどう使うか
では、どう使えばよいのか。実務的な指針を 4 つ挙げる。
1. 水準ではなく、方向と構成比を見る
「市場は◯兆円」という絶対額は、定義に依存するうえ、自社の判断にはほとんど使えない。使えるのは方向(増えているか減っているか)と構成比(何が伸び、何が縮んでいるか)である。この 2 つは、定義がある程度ずれていても傾向として読める。
2. 系列を混ぜない
比較するときは、同じ統計の中で比べる。A 社の調査の 2020 年と、政府統計の 2024 年を並べても、増減は分からない。これは当たり前に思えて、資料を作る現場でいちばん起きやすい事故である。
3. 自社の数字と突き合わせる
業界統計の本当の使いどころは、自社との比較にある。自社の売上構成比を、業界の構成比と並べてみる。自社の従業者あたりの付加価値を、業界の平均と比べてみる。ここで初めて、統計は自社の意思決定に効く材料になる。
「業界が縮んでいるから当社も縮む」という使い方には意味がない。「業界の中で自社がどこにいるか」を測る物差しとして使うのが正しい。
4. 引用するときは、定義まで書く
提案書や社内資料に数字を載せるなら、次の 4 つを必ず添える。
- 発表元(どの機関・どの調査か)
- 年(調査年。公表年とは違うことがある)
- 指標(出荷額か、売上高か、付加価値額か)
- 範囲(何を含み、何を含まないか)
これを書く習慣がつくと、書けない数字は使わなくなる。それだけで資料の質は上がる。
自分の手元に、小さな時系列を作る
最後に、実務としていちばん効く提案をしておきたい。業界の数字を、そのつど検索するのをやめる。代わりに、自社で追う指標を数個だけ決めて、毎年同じ場所から取ってくる表を作る。
作り方
大がかりなものは要らない。表計算のシート 1 枚で足りる。
| 列 | 入れるもの |
|---|---|
| 年 | 調査年(公表年ではない) |
| 指標 | 付加価値額・事業所数・従業者数・品目別の生産数量など、数個だけ |
| 出どころ | 統計名と、公表ページの URL |
| 定義のメモ | 範囲・母集団・単位。変更があった年には必ず注記する |
| 自社の対応する数字 | 同じ年の自社の売上・人員・生産量 |
ポイントは最後の列である。業界の数字と自社の数字を、同じ表の隣り合った列に置く。これだけで、毎年の更新作業がそのまま「業界と自社の比較」になる。
この表が効いてくる場面
- 金融機関への説明 — 出どころと定義が書かれた表は、それだけで説明の質が上がる
- 事業計画の前提 — 「なんとなく厳しい」ではなく、どの指標がどう動いたかで語れる
- 提案書 — 顧客の業界の数字にも、同じ手つきで当たれるようになる
- 採用と社内 — 業界の変化を、感情ではなく数字で共有できる
そして何より、毎年更新していると、定義が変わったことに自分で気づける。去年と同じ場所から取ってきた数字が説明のつかない動きをしたら、まず定義の変更を疑う。この感覚は、単発で検索しているかぎり身につかない。
更新は年 1 回でよい
年次の統計は年 1 回しか更新されない。だから、この作業は年 1 回で足りる。1 時間の作業を年 1 回続けるだけで、10 年後には他社が持っていない材料になる。統計の価値は継続性にあると先に書いたが、それは自社の表についても同じである。
まとめ — 業界の数字を引くときの 5 つの手順
統計の食い違いは、誰かの誤りではなく設計の違いである。この前提に立てば、数字は敵ではなく道具になる。引くときは次の順で確認したい。
- ① 範囲を確かめる。狭義の印刷業か、関連産業まで含むか、発注側の予算までか
- ② 指標を確かめる。出荷額・売上高・付加価値額のどれか。重複があるかどうか
- ③ 母集団を確かめる。全数か標本か、事業所か企業か、対象の下限はあるか
- ④ 増減を数量と単価に分ける。金額だけで需要を語らない
- ⑤ 自社の数字と並べる。業界の水準ではなく、業界の中での自社の位置を見る
そして、統計に映らない仕事が増えていることを忘れないでおきたい。統計は過去を記録する道具であって、これから起きることを教えてはくれない。数字が示すのは輪郭であり、輪郭の内側で何が起きているかは、現場の観察でしか埋まらない。
統計に強くなると、何が変わるか
統計の読み方は、地味で、すぐに成果が出るものではない。それでも身につけておく価値があるのは、業界の話をするときの立ち位置が変わるからである。
「印刷は斜陽産業だから」という言葉は、業界の内側でも外側でも、あまりに気軽に使われる。だが、その言葉が何の数字に基づいているのかを問い返せる人は多くない。範囲は。指標は。母集団は。数量なのか単価なのか。問い返せるようになると、その言葉に自社の判断を明け渡さなくて済む。
統計は、悲観にも楽観にも使える。どちらに使うかは読み手次第である。だからこそ、定義を確かめる習慣だけが、数字に振り回されないための唯一の防具になる。
なお、この記事では個別の統計値をあえて挙げていない。実際の数字は、必ず発表元の最新の公表資料に当たってほしい。孫引きの数字は、定義が落ちたまま伝わっていることが多い。そして、統計を経営判断や資金調達の根拠に使う場面では、専門家の助言を得ることをおすすめする。
調査・市場に関するニュースは 調査・市場 のカテゴリにまとめている。自社の数字の側を整えることについては 印刷会社の DX はどこから始めるか も参照してほしい。