帰りの電車で、鞄が重い。中身は、会場で受け取った資料の束と、ノベルティのボールペンが数本。手帳には「◯◯社、良さそう」とだけ書いてある。何が良さそうだったのかは、もう思い出せない。

1 日をかけて会場を歩いた。歩数計は 2 万歩を超えている。それでも、翌週の月曜に何かが変わるわけではない。この 1 日で何を得たのかを、社内で説明できる形にできていない。

展示会について語られるのは、たいてい出展する側の話である。しかし、印刷会社にとって展示会は見に行く場であることのほうが多い。そして、見に行くほうが実は難しい。出展には準備の型があるが、来場には何もないからである。この記事では、来場を「情報収集」ではなく「その場でしか取れないものを取りに行く行為」として設計し直す。

資料の束だけが残る

まず、なぜこうなるのかを考えたい。まじめに 1 日歩いた結果がこれなのだから、努力の量の問題ではない。

目的が「見ること」になっている

多くの場合、来場の目的は「情報収集」や「勉強」として設定されている。これは、達成したかどうかを判定できない目的である。

判定できないので、何時間いても「もう十分」と思えない。だから、時間の許すかぎり歩き続ける。そして、歩いた量に比例して疲れ、資料が増える。

会場は、そもそも網羅できない

大きな展示会には、数百から千を超える出展社がある。1 日で全部を見ることは物理的に不可能である。それでも「せっかく来たのだから」と全体を回ろうとすると、1 社あたりの滞在は数十秒になる。

数十秒で得られるのは、看板に書いてある一言と、渡された資料だけである。それはカタログを取り寄せても手に入る。わざわざ会場まで行った意味がない。

だから、取るものを先に決める

結論は単純である。会場でしか取れないものを特定し、そこに時間を集中させる。あとでも取れるものには、時間を使わない。

では、会場でしか取れないものとは何か。

会場でしか取れないものは、3 つしかない

会場でしか取れないものとあとでも取れるものを対比した図
図1: あとでも取れるものに時間を使うと、行った意味がなくなる。

1. 実物の手触り・音・速さ

紙の風合い、加工の艶、機械の動く音と振動、実際にかかる時間。これらは、画面でも紙のカタログでも伝わらない。

とくに、同じ日に、複数を並べて比べられるという点が大きい。1 社ずつ訪問していては、記憶を頼りに比べることになる。会場なら、数十分のあいだに直接比較できる。

だから、触れるもの、動いているものを優先して見る。パネルに書かれた説明を読むために移動しているなら、それは時間の使い方を間違えている。

2. 条件つきの本音

カタログには「対応可能」としか書かれていないことでも、その場で聞けば違う答えが返ってくる。「その紙だと、この速度では厳しいですね」「その厚みは、実際には調整が要ります」。

こうした条件つきの情報は、対面でしか出てこない。文書で回答を求めれば、慎重な表現に丸められる。技術の担当者が、その場で具体的な条件を出してくれる機会は、他にほとんどない。

そして、この情報を引き出すにはこちらから具体的な条件を出す必要がある。「どんなことができますか」では、カタログと同じ答えしか返ってこない。

3. 人

3 つめが、最も見落とされやすく、最も価値がある。その場にいるのは、営業だけではない。技術の担当者、開発した人、実際に運用している人が来ている。

通常の営業活動では、この層に会うことは難しい。会場では、その人たちが立って待っている。この状況は、他にはない。

そして、一度会って話した相手には、あとから連絡が取りやすい。「先日、展示会でお話しした」という一言が、その後の関係の起点になる。

逆に、あとでも取れるもの

  • カタログの仕様と価格表 — 送ってもらえばよい。その場で読み込まない
  • 会社概要・沿革 — 調べれば分かる
  • 一般的な業界の動向 — 記事や資料で追える
  • ノベルティ — 言うまでもない

資料は受け取るが、その場では読まない。読む時間があるなら、実物に触れ、質問をする。この判断だけで、1 日の密度はかなり変わる。

1 日で回れる量には、物理的な上限がある

次に、時間の制約を数字で押さえておきたい。感覚で計画を立てると、必ず詰め込みすぎる。

会場での6時間をどう配分するかと、深く話せる社数の見積りを示した図
図2: 深く話せるのはせいぜい 3〜5 社。10 社と 5 分ずつ話しても、何も残らない。

時間を配分してみる

仮に、会場に 6 時間いられるとする。移動と休憩に 1 時間を取れば、正味は 5 時間である。

1 社としっかり話し、実物を見て、条件を聞き、次の約束をするには、20〜30 分はかかる。5 社なら 2 時間半。セミナーを 1〜2 枠聞けば、さらに 1〜2 時間。

ここまでで、正味の時間はほぼ埋まる。残りが、目的を決めずに歩ける時間である。会場の広さによっては、それすら足りない。

「3〜5 社」という現実的な目標

したがって、1 日で深く話せるのは、せいぜい 3〜5 社である。これを前提に計画を立てる。

この数字は少なく感じるかもしれない。しかし、10 社と 5 分ずつ話した記憶より、3 社と 30 分ずつ話した記憶のほうが、確実に残る。そして、次につながるのは後者である。

歩く距離も無視できない

大きな会場では、端から端まで歩くだけで数分かかる。行ったり来たりを繰り返せば、それだけで小一時間が消える。

会場図を見て、回る順路を決めておく。同じ区画にあるものをまとめて見る。この一手間で、実際に話せる時間が増える。

見本市は「見る側」のために作られてきた

ここで、この形式がなぜ続いているのかを見ておきたい。展示会は、もともと売り手のためではなく、買い手のために生まれた仕組みである。

市(いち)という原型

特定の日時に、特定の場所へ、売り手と買い手が集まる。この形式は古くからある。目的は、探す手間を減らすことだった。

売り手を 1 軒ずつ訪ね歩くのは、時間も費用もかかる。ある日ある場所に全員が集まると決めておけば、買い手は 1 回の移動で多くを比較できる。集まること自体が、買い手にとっての効率化だった。

いまも、その機能は残っている

通信が発達した現在でも、「同じ日に、同じ場所で、複数を比較する」という機能は代替されていない。

個別に訪問すれば、1 社につき半日はかかる。5 社を比較するには、日程調整だけで数週間である。会場なら、それが 1 日で済む。

この視点に立つと、来場の目的が明確になる。「情報を集めに行く」のではなく「比較しに行く」のである。比較するには、比較の軸を先に持っていなければならない。

出展側の設計と、表裏になっている

ちなみに、展示会に出展して何が残るのか で扱ったとおり、出展側は「通路を歩く人をどう止めるか」を設計している。

来場側から見れば、その仕掛けに引っ張られると、計画が崩れる。目を引く演出、配布物、実演。どれも、来場者の足を止めるために置かれている。

だから、目的の小間を先に回る。予定を消化してから、余った時間で偶然の出会いを楽しむ。順序を逆にすると、目的の小間に着く前に時間と体力が尽きる。

事前に決めておく 4 つのこと

事前・当日・事後の3段階でやることを並べた図
図3: 当日だけを考えると、資料の束だけが残る。

成果の大半は、会場に着く前に決まっている。準備といっても、時間はかからない。

1. 何を解決しに行くのか

「情報収集」ではなく、具体的な問いを 1〜3 個持っていく。

  • この加工を内製化できるか。設備はいくらで、どれくらいの手間か
  • いま外注している工程を、他の方法で置き換えられないか
  • この用紙で、この加工が本当に通るのか
  • 小ロットの案件を、いまより安く受ける方法はないか

問いがあれば、行くべき小間が自動的に決まる。そして、その場で聞くべきことも決まる。問いがないから、全部を見ようとして疲れる。

2. 自社の条件を、数字で用意する

これが最も効く準備である。「うちの場合はこうなのですが」と具体的に出せると、返ってくる答えの質がまったく変わる。

用意しておきたいのは、次のような数字である。

  • よく出る部数の帯(月に何件、何部くらいか)
  • 主に使っている用紙と、その厚み
  • 現在かかっている時間(段取り、通し、後加工)
  • いま困っていること(具体的に、1 つ)

これを手帳に書いておくだけでよい。数字を出せる相手には、相手も数字で答えてくれる。「だいたいこれくらいです」という会話からは、判断材料は出てこない。

3. 行く小間を決め、会場図に印を付ける

出展社の一覧は事前に公開される。問いに関係するところを 5〜8 社選び、会場図に印を付ける。実際に回れるのは 3〜5 社なので、少し多めに選んでおく。

そして、回る順路も決める。同じ区画をまとめて回り、往復を減らす。会場に着いてから探すのと、印の付いた図を持って歩くのとでは、消耗がまるで違う。

4. アポイントを取れるなら取る

これが最も見落とされている。来場者の側からも、事前に連絡できる。

「◯日の午後に伺いたい。この件について詳しい方はいらっしゃいますか」。この 1 通で、当日の対応が変わる。技術の担当者が待っていてくれることもある。

そして、待たされない。混雑した小間で 20 分待つのは、1 日の時間配分では大きな損失である。

当日、実物の前で何を聞くか

会場に着いたら、準備した問いを使う。ここでも、聞き方に工夫の余地がある。

「できますか」と聞かない

「これはできますか」と聞けば、たいてい「できます」と返ってくる。それは嘘ではないが、条件が省かれている。

代わりに、自社の条件を出して「この場合はどうなりますか」と聞く。「この厚みの紙で、月 300 件、1 件 500 部だとどうなりますか」。この聞き方なら、条件つきの答えが返ってくる。

できないことを聞く

もう 1 つ効くのが、「苦手なことは何ですか」と直接聞くことである。

意外に思われるかもしれないが、この質問には答えが返ってくることが多い。そして、その答えは検討の材料として極めて有用である。できることばかり聞いていても、比較の軸にならない。

正直に答えてくれるかどうか自体が、その相手を判断する材料にもなる。

その場で書く

聞いた内容は、その小間を離れる前に書く。あとでまとめて書こうとすると、必ず混ざる。

書く内容は、資料の余白でよい。誰と話したか、何を聞いたか、次に何をするか。この 3 つがあれば、翌週に読み返して意味が分かる。

実物の前で、何を確かめるか

機械や資材の前に立ったとき、何を見ればよいのか。カタログに載っている数値ではなく、載っていないものを見る。

数値ではなく、動きを見る

速度や寸法は資料に書いてある。会場でしか分からないのは、その数値に至るまでの動きと時間である。

  • 止まってから、次が出るまで — 段取りにどれだけかかるか。カタログの速度は連続稼働の値である
  • 人がどれだけ触っているか — 全自動と言われていても、実際には人が何度も手を出していることがある
  • 音と振動 — 設置する場所の条件に関わる。事務所の隣に置けるか
  • 出てきたものの状態 — そのまま次の工程へ行けるのか、整える手間があるのか

2 番目がとくに重要である。実演では、その機械が最も得意な条件で動かされている。そこでも人が手を出しているなら、自社の条件ではもっと手がかかると考えたほうがよい。

失敗させてみる

可能なら、自社の材料を持って行く。いつも使っている紙、いつも困っている絵柄。それを通してもらえるなら、得られる情報は桁違いに増える。

断られることもある。しかし、断られたこと自体が情報である。「その紙は難しい」という反応が返ってくれば、それが答えになる。

持ち込みが難しくても、「この条件だと通りますか」と具体的に聞くことはできる。前章で述べた「自社の条件を数字で用意する」が、ここで効いてくる。

周辺を見る

そして、機械そのもの以外にも目を配りたい。設置に必要な面積、電源、排気、消耗品の置き場。これらは導入してから問題になる項目である。

「うちの工場に入りますか」という問いは、会場で聞くのがいちばん早い。面積と天井高と搬入経路を、その場で伝えられるように用意しておく。

セミナーの選び方と、聞き方

多くの展示会には、講演やセミナーの枠が併設されている。ここは、時間の使い方として当たり外れが大きい。

選ぶ基準

  • 誰が話すか — 実際に手を動かしている人か、そうでないか
  • 何が持ち帰れるか — 判断の基準か、事例か、単なる紹介か
  • その時間で、他に何ができるか — 40 分あれば、2 社と深く話せる

3 番目を必ず考えたい。セミナーは受け身で座っていられるので、疲れているときほど選びたくなる。その時間で何を諦めているかを意識しておく。

聞き方

聞くだけで終わらせない方法が 2 つある。1 つは、質問を用意して臨むこと。もう 1 つは、終わったあとに話しかけることである。

後者はとくに効く。話し手はその分野に詳しく、しかも直後は話しやすい状態にある。「先ほどの◯◯の件ですが、うちの場合は……」と切り出せば、短時間でも密度の高い会話になる。

同行者を誰にするか — 1 人で行かない

実務的な点をもう 1 つ。可能なら 1 人では行かない。理由が 3 つある。

1. 見るところが違う

営業と製造では、同じ機械を見ても気になる点が違う。速度に目が行く人と、段取りに目が行く人と、置き場所に目が行く人がいる。複数の目で見ると、検討の抜けが減る。

2. 帰りに話せる

その日のうちに感想を突き合わせられる。「あれ、どう思った?」という会話は、記憶が新しいうちにしかできない。この 30 分が、翌週の判断を早める。

3. 社内で通りやすくなる

1 人が見てきた話を社内で共有しても、伝聞になる。2 人が同じものを見ていれば、話が具体になり、社内で通りやすい。

とくに、決裁する人を連れて行けるなら、それが最も効く。実物を見た人と、報告書で読んだ人では、判断の速さがまったく違う。

手分けするなら、目的を分ける

2 人で行って、別々に回るという方法もある。その場合は、誰が何を見るかを先に分担する。同じ小間を 2 人で見るのはもったいない。

持ち帰ったものを、どう社内に流すか

そして、ここが最も抜けやすい。持ち帰った情報は、放っておけば個人の中で終わる。

1 週間以内に、1 枚にまとめる

大げさな報告書は要らない。A4 で 1 枚、次の内容を書く。

  • 行った目的(持っていった問い)
  • 会った相手と、聞いたこと(3〜5 社ぶん)
  • 検討する / しないの仕分け
  • 次にやること(誰が、いつまでに)

3 番目が重要である。「検討しない」と決めたものを明示する。そうしないと、すべてが宙に浮いたまま残り、来年また同じ小間を訪ねることになる。

資料は、その場で仕分ける

持ち帰った資料は、1 週間以内に「残す」と「捨てる」に分ける。残すものは、どこに置くかまで決める。

分けないまま机の脇に積むと、半年後にそのまま捨てることになる。その時点で、あの 1 日は完全に無駄になっている。

次に会う日程を入れる

検討すると決めた相手には、1 週間以内に連絡し、次に会う日程を入れる。会場で「またご連絡します」と言ったまま終わるのが、いちばん多い失敗である。

相手も同じことを何十人にも言われている。先に連絡したほうが覚えられている。これは出展側の記事で書いたことの、ちょうど裏側にあたる。

体力と、集中の配分

地味だが、成果に直結する話をしておきたい。展示会の 1 日は、想像以上に体力を使う。そして、疲れた状態での会話からは何も残らない。

疲れは、判断の質を落とす

2 万歩を歩き、人混みの中で立ち話を繰り返せば、午後には集中が落ちる。この状態で聞いた話は、記憶にも残らないし、質問も出てこない。

だから、いちばん大事な小間を、午前中に回る。疲れてから行くのは、優先度の低いところでよい。これは単純だが、実行している人は少ない。

座る時間を予定に入れる

セミナーは、内容そのものに加えて座って休める時間という価値がある。午後の早い時間に 1 枠入れておくと、その後の回り方が変わる。

会場内の休憩所も同じである。30 分の休憩は、時間を失うのではなく、その後の 2 時間を取り戻す。

荷物を減らす

資料は重い。もらった端から鞄に入れていくと、午後には肩が痛くなる。

対策は 2 つある。その場で「送ってもらえますか」と頼む。多くの出展社は応じてくれる。もう 1 つは、会場の宅配サービスを使って、その日のうちに送ってしまうことである。

荷物の重さが、午後の行動範囲を決めている。些細に見えて、実際の成果に影響する。

服装と靴

最後に、当たり前だが効くこと。歩ける靴で行く。会場の床は硬く、距離は長い。足が痛くなった時点で、その日の残りは消化試合になる。

そして、会場は空調が効いていることが多く、外との温度差が大きい。脱ぎ着できる服装のほうが、集中を保ちやすい。

見に行っても分からないこと

最後に、限界を押さえておきたい。会場で分かることには、はっきりした範囲がある。

実際の運用は分からない

会場で動いている機械は、最良の条件で、専門の担当者が操作している。用意された材料を使い、調整も済んでいる。自社の環境で、自社の人が、自社の紙で使ったときにどうなるかは、そこからは分からない。

だから、本気で検討するなら次の段階として実機のテストを依頼する。自社の材料を持ち込んで試す。展示会は、そこへ進む相手を絞るための場である。

長く使ったときのことは分からない

新品の機械は、当然よく動く。数年使ったときの状態、保守の実際、部品の供給。これらは会場では分からない。

ここを知るには、すでに使っている会社に聞くのが最も確実である。会場で「導入している会社を紹介してもらえますか」と聞いておくと、その後の検討が速い。

費用の全体像は分からない

提示されるのは本体の価格であることが多い。設置、電源工事、消耗品、保守契約、そして運用する人の時間。これらを含めた総額は、その場では出ない。

だから、会場での目標は「価格を聞くこと」ではなく、「見積りを出してもらう約束を取ること」に置いたほうがよい。

まとめ — 次に展示会へ行くときの 5 つのこと

展示会は、見に行くほうが難しい。準備の型が用意されていないからである。会場でしか取れないものを特定し、そこに時間を集中させる。

  • 問いを 1〜3 個決めてから行く。「情報収集」は達成を判定できない目的である
  • 自社の条件を数字で用意する。数字を出せば、数字で返ってくる
  • 深く話すのは 3〜5 社と割り切る。全部を回ろうとすると、何も残らない
  • 「できますか」ではなく「この条件だとどうなりますか」と聞く。ついでに「苦手なことは」も聞く
  • 1 週間以内に 1 枚にまとめ、次に会う日程を入れる。ここをやらないなら、行かなくてよい

そして、可能なら 1 人では行かない。帰りの電車で交わす 30 分の会話が、翌週の判断を早める。

展示会・セミナーの情報は 展示会・セミナー のカテゴリと 展示会情報 にまとめている。出展する側の設計は 展示会に出展して何が残るのか を参照してほしい。